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うさぎっ子恐怖館スマホ閲覧verです
しばらくの間、スマホからの閲覧はこちらでどうぞ。

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滝山城跡編

滝山城跡編

執筆者:ピフィア

恐怖度:

 

都立滝山自然公園、春には5000本の桜が咲く名所として有名な公園ですが、戦国時代には城主・北条氏照と甲斐の武田信玄が、壮烈な戦いを繰り広げた滝山城の城跡でもあります。
滝山城は、1521年山内上杉氏の重臣である大石定重が築いた城であるが、北条氏康の次男氏照は大石氏の養子となり滝山城を引き継いでいます。
城郭は多摩川と秋川の合流点にある、戦国時代を代表する山城で1558年には氏照が滝山城の大改修を行い本格的な山城となりました。
1569年には、小田原攻略途中の8000〜1万の武田軍に攻撃を受けたのですが、わずか2千の寡兵でもってよくこれをしのぎ、見事に撃退したといいます。
1万の軍の攻撃に耐えた滝山城ですが、その後氏照は武田信玄軍に備えるため、先に紹介した「八王子城」を天正元(1573)年頃に築き、 滝山城より移りました。
しかし秀吉の小田原攻めの時、城主氏照は小田原本城にいましたが、1日で落城してしまい、その後八王子城は廃城となってしまったのです。
現在、城跡の大部分は都立滝山公園となっているので、夜の公園探索となったのですが、目的地に着いた私達は・・・・

探索日時:2003年8月10日
探索メンバー:管理人ピフィア、副管理人kuniの2名

 

関東遠征初日、旧小峰トンネルの取材を終えた私達は次の目的地である滝山城跡(滝山公園)に到着しました。
早速取材を開始する為に、工事現場に車を停めたのですが、公園入口の雰囲気があまりにも悪く、進入をいきなり躊躇してしまいました・・・
確かに入口はかなり暗く怖いのですが、それとは別に闇に何者かが潜んでいるような気がして、進入する気になりませんでした・・・
とりあえず、別の進入ルートを探す為に、公園周辺を調べたのですが、夜の公園は厳重に管理されているようで、進入口の全てが車止めにて、通行できなくなっていました。
仕方なく私達は元の入口に引き返したのですが、引き返した時には、先程感じた嫌な雰囲気は嘘のように無くなっているので、何とか進入する事が出来そうです・・・

 

三ノ丸跡に向かう道ですが、かなり不気味な雰囲気です。
時折吹く風により竹が軋む音が聞えてきますが、まるで悲鳴のように聞えゾクゾクします。
聞えてきているのは本当に竹の軋む音だけなのでしょうか・・・

途中、階段を見つけたので上がってみる事にします。
階段の最上段には私達の行く手を遮るかのようにオーブが立ちはだかっています。
奥の林からも何者かがこちらを覗っているような気がしてなりません。

階段を上がると小さな社が有りました。
社は近い位置に鳥居が二重に建てられていますが、何か意味が有るのでしょうか?

近付くと、社はあまり管理が行き届いていないようで、草は刈られていましたが、刈りっ放しの状態になっています。
何となく罰当たりな状態なのであまり近付かない方が賢明そうなので離れる事にします。

これは社の近くに建てられていたのですが、資材用の小屋かトイレだったと思います。
かなり嫌な雰囲気だったので、中には入っていません。
外観だけを写真に写しましたが、その写真には・・・

上の写真の気になる部分を拡大しました。
拡大してもよく分からないのでが、私には何体か顔が見えます。
しかも全てこちらを覗っているように見えるのですが・・・

岩に何やらプレートが取り付けられています。
近付いて確認すると「三ノ丸跡」と書かれていました。
どうやらここが三ノ丸跡のようです。

右手に三ノ丸斜面を見ながら進んでいますが、雰囲気的にはかなり悪く、何処を歩いていても妙な気配が感じられます。
私的にはあまり先には進みたくない気分でしたが、ここで引き返すのもシャクなので先に進む事にします。

二ノ丸跡から中ノ丸跡に向かう途中の土橋ですが、1569年、九月二日の信玄との戦いで、壮絶な戦いの場となった所です。
当然の事ながらこの一帯は成仏されていない霊が今も争いを続けているのでしょう。
橋には私達を取り囲むようにオーブが出現してます。
夏だというのに寒気がしてきました・・・

道標が現れました。
右に曲がり中ノ丸に行く事にします。

中ノ丸ですが更地になっており特別見所はなさそうですが、雰囲気はかなり悪いです。
城郭大系ではこの場所を二ノ丸としている事から、ここでも壮絶な戦いが繰り広げられたのでしょう。

案内板を見つけました。
案内板には、滝山城跡の説明などが書かれていますが、雰囲気が悪く嫌な予感がするので読む暇は無さそうです。
とりあえず、中ノ丸探索を急ぐ事にします。

中ノ丸に設置されているトイレですが、ハンディキャップトイレの入口と、男子トイレの中に何かいるようです。
ハンディキャップトイレは入口中央、男子トイレは窓の左下と、右のオーブと、オーブの右側に気配がします。
何となくトイレに行きたい気もしますが、我慢する事にします・・・

ハンディキャップトイレのドア中央付近を拡大しました。
拡大すると結構ハッキリと写っているのが分かると思います。

トイレから更に左側なのですが、こちらも無数に何者かがいるような感じがします。
だとしたら、私達は既に囲まれているのですが、それにしては危険な感じがあまりしないのが不思議です・・・
但し、あまり長居しない方が無難そうです。

kuniさんが写した写真に取材中の私が写りこんでいますが、写真の所々に白い光の点が写っています。
私の左足にも白い光の点が写っているのが気になるので拡大してみます。
 

拡大すると光の点ではなく、勾玉のような形をしている事が分かります。
私に憑こうとしているのでしょうか?

中ノ丸に有る、国民宿舎「滝山荘」です。
サークルの研修や合宿に利用されているようですが、一般の宿泊も可能なようです。
こちらも写真には無数のオーブが写っています。
どうやら、私達は完全にとり囲まれてしまっているようです。
ただ、完全にとり囲まれているというより、全ての場所に霊の気配が有ると言った方が正解なのかもしれません。

国民宿舎「滝山荘」をkuniさんが撮影した写真なのですが、建物が火事の様に赤く染まってます。
一番赤く染まった部分には苦痛に歪む顔が数体写っているように見えます。
戦で亡くなった者達の霊なのでしょうか?

中ノ丸に設置された休憩用のベンチです、茂みの中に白い光が見えますが、その直ぐ右脇に髭を生やした男性の顔が見えます。
他にもやはり数体いるような気配がします。

少し長居し過ぎた様で、かなり気分が悪くなってきました。
視覚的には見えないので良いのですが、かなり多くの気配は感じます。
しかも益々その気配は増してきたようにも感じます。
そろそろ、中ノ丸から離れた方がよさそうです。

石段が残されていますが、滝山城に使われていたものなのでしょうか?
しかし本格的に気配が悪くなってきました。
そろそろ潮時でしょう。。
中ノ丸から撤退する事にします。

kuniさんと合流して、中ノ丸から出ようと出口の方に向かっていたのですが、突然出口方向の坂道から、何か黒い毛の生えたボールのような物が、引力に逆らうかのように転がりながら上がってきます。
どうやら、kuniさんはその存在に気付いていないようです・・・
私は「何だろう?」と転がってくる物体に目を凝らすと、「ゲッ!!」一瞬心臓が止りそうになりました。
転がってきたのはボールなどではなく人の生首だったのです。
それはゆっくりと坂道を転がりながら上って来るのですが、方向が定まらない様子でジグザグ走行をしながら上がってきます。
私は恐怖の為、一瞬身動き出来ない状態に陥りましたが、生首はジグザグ走行をしながらも確実に私の方を意識しながら向かってきているようです。
逃げなきゃ殺られる!!」即座にそう判断しましたが、蛇に睨まれたカエル状態なので身動きが出来ません。
その間にも生首はかなり私に近付いてきました。
ヤバイ」「ヤバイ」「ヤバイ」「どーしよぉ〜!!」と思っている刹那、生首は私の足元に転がってきました。
うわっ!!絶対当たって欲しくない!!」と思った瞬間、私の本能からか体が勝手に反応して、何とか生首を避ける事が出来ました。
生首はそのまま私の直ぐ横を通り過ぎてしまい、再び私の方に戻ってくる様子は有りません。
私が振り返りカメラを向けた時には跡形も無く消えてしまっていました。

あまりの気持ち悪さにkuniさんにはその場では生首の事は話しませんでした。
その場で話すと何となくまた同じ事が起きそうで嫌だったからなのですが、他にも話す事で私自身が恐怖を我慢できなくなる可能性が有ります。
そうなるとパニックを招く可能性があり、かなり危険な事になってしまうからです。
本来なら本丸探索をしなければならないのですが、もう精神的に限界なので、滝山城跡の探索を終える事にします。

----以上----

 


 ☆編集後記☆

戦国時代、この滝山城は1536年北条氏康、1552年上杉謙信、1569年武田信玄の諸豪からの猛攻を受け、それに耐えたとされていますが、史料の裏付けがあるのは信玄の来襲だけのようです。
信玄は、武田勝頼を総大将に8000から1万の軍勢で、上州から大菩薩峠を越え、本陣を多摩川の対岸拝島におき一斉攻撃をしかけました。
対する氏照の軍は2300ほどで、戦闘は苛烈を極め三ノ丸までは落ちてしまいましたが、何とか二ノ丸は死守したそうです。
また、氏照自身も手傷を負いながら槍を振るって奮戦したと伝えられている事から、落城寸前にての勝利だった事が分かります。
今回私達が進入した場所は、三ノ丸付近なので、かなり多くの戦死者が出た場所だと思われます。
そう考えると進入を躊躇うくらいの霊気の濃さも納得できます。
そして私達が探索した全ての道や城跡は激戦場所だったので、多くの姿無き者達の気配を感じたのも納得できます。
そこには今も無念の死を遂げた、多くの死者の魂が彷徨っているですから・・・
管理人:ピフィア

「滝山城跡」ここが関東遠征第一弾初日、最後のレポートとなります。
ここは前回ご紹介した「八王子城跡」の城主・北条氏照の八王子城の前の居城です。
全国的に有名な「八王子城跡」の影に隠れたような存在ですが、ここも落城することはなかったものの、師匠も書いているように武田軍との戦ではかなりの激戦が繰り広げられたようで、たくさんの犠牲者を出したことが容易に想像できます。
八王子城跡同様に私たちが進んだ道にもたくさんの血が染み込んでいることでしょう。
そう考えると、この後に起こった出来事も十分に予想されたものでした。
師匠も書いていますが、最初登り始めようとした時の雰囲気はかなり嫌なものでした。
あの登山道?の入口から少し行くと左にカーブしているのですが、私でもその先に敵意を持つ何者かの存在を感じることができたほどです。
それは、一時その場を離れ、他の侵入経路を探したあとに戻ってきた時は嘘のように気配が消えていました。
おかげで探索を始めることができたわけですが、やはり各所で今も報われぬ霊体に多数遭遇していたようです。
特に驚いたのは、中の丸跡から下山しようとした時です。
普通に歩を進めていた師匠が急に立ち止まり、私はあわや師匠と激突するところでした。
まさかあの時、師匠をめがけ生首が転がって来ていたとは・・・
あとでその話を聞いた時は、ゾッとしました。
この頃の私は探索にも慣れ、霊に対して必要以上の恐怖感を感じることがなくなっていました。
余程のことがない限り、パニックを起こすことはないという自信もありましたが・・・
やはり見えてしまった時のことを考えると、どうなるのか正直わかりません。それは今も同様です。
私はまだ、この目で霊の存在を確認したことがないわけですから・・・
あの時、探索のプロとしての師匠を再確認したように思います。
副管理人:kuni

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